2012年6月3日日曜日

恋愛日記


女性の愛と男性の義務

結婚する気がない人がいる。男女にそういう人がいるが、おおむね男性の方が多い。その違いは子を産む性と子を産まない性から来ているのではないだろうか。子を産む性を持つ女性は本能に従い結婚を希望するが、男性は本能より社会的義務で結婚することの方が多い。女性は社会的義務より愛で結婚しようとするが、男性は社会的義務が果たせる能力が備わった時点で結婚を考える。結婚しない男性、結婚ができない男性の多くはその義務が果たせてない人の方が圧倒的に多い。

2012年6月2日土曜日

9.17フジTV抗議デモ実行委員会 トップページ


はじめまして。「8・21フジテレビ韓流ごり押し・偏向報道抗議デモ」を8割くらい共感し、応援していた者です。

 そこで、気になっている問題があるのですが、今回のデモを批判したり嘲笑したりする人々を観察していると、このデモが「韓流ドラマが嫌い・多いからやだ」ということを主題にしたデモだと思っている人がとても多いです。報道もその方向です。

そこで、その誤解を払拭すべく 
という解説を書きました。

2012年5月31日木曜日

お料理大好きtakakodeli


2012/05/05

takakodeliのホームページができました。

ブログに来てくださった皆様へ。

takakodeliです。ホームページを作ったのでお引っ越しします。
(こちらのブログは当面残します)

10:48 午後 [普通の日記] | 固定リンク

2011/10/10

おばあちゃんのおはぎ

おはぎ

元気にひとりぐらししているおばあちゃん。
わたしが住んでいた家から近かったこともあり、小さなころによく泊まりにいっていました。
おばあちゃんは三姉妹で、二人の大叔母さんは子供がいなかったこともあり私にとっては三人のおばあちゃん。月に一度のお泊まりが本当に楽しみでした。
食べきれない位のお料理を用意してくれましたが、いまでも思い出すお料理がいくつかあります。
スイートポテト、太巻き、そしておはぎ。とってもとっても美味しかった記憶があり、なんでちゃんと作り方をならわなかったのだろうな〜って今になって思います。お料理好きだったのは大叔母さんで、随分まえに天国に召されてしまっていたのです。

味わいをなんとなく覚えているだけに、いつかちゃんとあの味を作りたいなといつも思っていました。
実は6年ほど前に自分でおはぎを作ったのですが、あのときの味に全く近づけてなくてがっくり。時折思い出して作ろうと思い、やめる。

すっかり虜になっている「LIFE」に掲載されていた"おばあちゃんのおはぎ。"なつかしい感じにつくりましたというコピー、そして丁寧に丁寧にかかれたレシピをその通りに作ってみることにしました。
あんこは、しっかり甘くちょっと田舎っぽい味(いい意味で)がおいしい。でも、子供のころ食べたのはもうちょっと甘かったかな〜。あと、レシピ通りに作りましたが、お米と餅米の比率が少し思い通りにいかずちょっと固め。

ま、もちろんそんなすぐに成功するなんて思っていません。場数、場数。
この秋こそ、ちゃんと自分の味を見つけようと思います。

おいしい珈琲とおはぎってあうなぁ。これはこどものときとは違う食べかた。うふふ。

10:49 午後 [手作りスイーツ(他)] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/10/02

花のアトリエ こすもす 金沢

こすもすのかき氷

8月お盆その2のお話。もう涼しくなってきたのに写真が寒そうですね。。

金沢に帰ると、忙しい時間をぬって遊んでくれる亜沙子ちゃん。実は10数年ほど前に、金沢で働いていたときの同僚。

当時は、互い白衣を着て大学の研究室で静かに試験管やカルテを眺めて仕事をしていた私たちです。
が、彼女はいまではパートナーと韓国中心部に「雨之日珈琲店」というとてもすてきなカフェ開きながら、書道家としてのんびりとだけど刺激的な毎日を過ごしているようです。
地元に帰ると、楽しい友人がいるのは本当に幸せ。毎度刺激をいただいています。わたしが帰省の度に金沢の楽しさに気づくのは彼女のおかげといっても言い過ぎではないかな。ありがとうね、いつも。

2012年5月18日金曜日


M8 There Is Love  1982     Myrrh    MSB-6685


Maria Muldaur : Vocal
Hadley Hockensmith : Electric Guitar
Harlan Rogers : Keyboards
Michael Omartian : Piano (4)
Rick Kelly: Synthesizer
Abraham Laboriel : Bass
Bill Maxwell : Drums
Alex Neciosup-Acuna: Percussion
Larry Hirsh : Percussion
Delbert McClinton: Harmonica (6)

Greg Smith, Lon Price: Woodwinds
Lee Thornburg, Darrell Leonard: Trumpet
Jim Price : Trombone
Joh Phillips : Flute (3)

Charity, Linda, Sam and Howard McCrary: Back Vocal
Marvin and Vicki Winans : Back Vocal
Kristle Murden, Dani McCormick : Back Vocal

Darrell Leonard : Arragement
T-Bone Burnett : Producer

[Side A]
1. Keep My Eyes On You [T-Bone Burnett] 
2. I Was Made To Love You [Stevie Wonder, Syreeta Wright]
3. There Is A Love [Syreeta Wright, Curtis Robinson Jr.]
4. Sondown [Howard McCrary, Alfred McCrary]

[Side B]
5. I Do [Connie Johnson]
6. Infinite Mercy [Lyn Laboriel, Abraham Laboriel]
7. In The Holy Name Of Jesus [Aaron Purdie]  
8. Is My Life In Vain [E. Twinkie Clark]

Recorded at Magnolia Sound, North Hollywood, CA

トラディショナルなゴスペルを特集した前作に対し、本作ではコンテンポラリーなクリスチャン・ミュージックに挑戦している。日本ではなじみが薄いが、アメリカではこの手の音楽の市場は大きく、単なる宗教歌、賛美歌に留まらないハイレベルの有名アーティストが専門レーベルから作品を発表しているのだ。本作を発売したミールという会社もそのひとつで、その名前はアフリカにある低木から採取され、古代から芳香剤として使用されてきたミルラ樹脂から取られたのもの。防腐作用のためにミイラの製作に使用され、その語源にもなったが、キリスト教との関係も深く、東方の三博士がイエス・キリストに捧げた三つの贈り物のひとつであり、彼の埋葬の際にも使われたという。また後に医療薬として使用されたため、その言葉 自体「救世主」を象徴するともいう。このレーベルからは、エイミー・グラント、B.J. トーマス、フィル・キギー、アル・グリーンなど多くのアルバムが発表されている。参加ミュージシャンもゴスペル音楽に縁の深い人たちで、プロデューサーのTボーン・バーネットの奥様はゴスペル・シンガーだ。彼は1948年生まれの南部育ちで、ブルース、R&B、テックスメックスなどの地元音楽に慣れ親しみ、デラニー・アンド・ボニー、ロイ・オービソン、エルヴィス・コステロのセッションに参加。最も有名なものは1976年のボブ・ディランのローリング・サンダー・レビュー(アルバム「Hard Rain」)だろう。その後はメンバーのスティーブン・ソウルス、デビッド・マンスフィールドとアルファ・バンドを結成したり、ソロアルバムを発表するが、プロデューサーとしての手腕が一番評価されている。近年は映画音楽でグラミー賞を獲得している。彼のような敏腕プロデューサーが携わっている本作が悪いわけはない。数あるマリアのソロアルバムのなかで最も力強く完成度の高い作品となった。宗教の是非につき論ずるつもりはないが、本作の世界における揺らぎのない信念は、神を信じる事が人間を強くすることを如実に物語っている。反面独善的な要素も出てくるので、この手の音楽を押し付けがましい、「臭い」と感じる人もいるだろう。特定の宗教にこだわらず、偏見もなく、何となく神の存在を信じている私のような 人間にとって本作を聴くことはとても心地の良いものだ。

本作はTボーン・バーネット作曲の1.「Keep My Eyes On You」から始まる。ロックはリフで決まる!という鉄則通りの曲で、ギターを主体としたどっしりしたサウンドは、一世を風靡したディランのローリングサンダー・ツアーのサウンドを彷彿させ、聴いていて心がワクワクする。マリアの歌も従来に増してソウルフルで、乗りに乗って気持ちよさそうだ。艶のあるギターソロ、重みのあるブラスセクション。曲自体はディランがクリスチャンになった頃の作品「Saved」(1980)と相通じるものがあり、Tボーン・バーネットがディランに与えた影響の大きさを物語るものだ。2.「I Was Made To Love You」は、スティーヴィー・ワンダーと、一時期彼の奥様だったことがあるシリータ・ライトとの共作とクレジットにあるが、謎の曲だ。アルバムのコピーライトのクレジットには1971年とあるが、彼の資料を調べてもこの曲の情報がないのである。1967年の曲「I Was Made To Love Her」の改作とも考えられるが、歌詞は違うしメロディーも同じようでいて違うかなという感じ。共作者も違うんだよね。歌詞の内容もキリストの賛美の歌であるが、一般的なラブソングとして聴く事もできる。洗練されたコード進行、素晴らしいメロディー、しなやかなリズム、シンセサイザーのサウンドなど、どれをとっても一流で、マリアのエモーショナルなヴォーカルが最高。特にエンディングのアドリブパートでは、地声、裏声、可憐声、ダミ声と声色を使い分けて心の襞を繊細に表現してゆくあたりは大変な説得力があり、彼女のボーカリストとしての成長が伺える作品だ。3.「There Is A Love」はシリータ・ライトによる内省的な愛の歌。ここでのコピーライトは1982とあり、本人が録音した記録がないため、本作のための書き下ろしと推測される。シリータ・ライト(1946-2004)はスティービー・ワンダーと出会って一緒に曲を書き始めてから才能が開花する。1970年に二人は結婚し、わずか18ヶ月で離婚するが、その後もしばらく二人の音楽活動は続いた。彼との共作で一番有名な曲は、最近では2003年にイギリスのボーカルグループ、ブルーがカバーした「Signed, Sealed And Delivered (I'm Yours)」(1970)だろう。またバック・ボーカリストとして、クインシー・ジョーンズ、パトリース・ラッシェン、ビリー・プレストン等の作品に参加。1998年に彼女がプロデューサーを担当したジャズ、ワールド・ミュージックがジャンルのダオウド・アブベイカー・バレワの作品「Ambiance II」に本作のカバーが収録されている。アコースティック・ギターのアルペジオ、キーボード、そしてフルートソロによるサウンドは透明感があり、クールな雰囲気が漂っている。

4.「Sondown」は傑作。作者のハワード・マックラリーは新しいスタイルのゴスペル音楽を追求した兄弟グループ、マックラリーズの一員で、ジェームス・イングラム、クインシー・ジョーンズ、チャカ・カーン、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、マイケル・ジャクソンなどの作品に参加、グループとしてはアルバムを発表したほか、ジャクソンズの前座やTV番組「ソウルトレイン」への出演などがある。ここではチャリティー、リンダ、サムの仲間が参加している。スローなイントロから、一転アップテンポのサンバのリズムに乗せて、マリアが疾� �するように歌う。歌詞の内容はキリストの受難と復活をテーマにしたものであるが、「Son (神の子)」と「Sun (太陽)」のダブルミーニングになっていて、その世界は深遠でキリスト教に留まらないスケールの大きな普遍的な愛の歌になっているように感じる。サンバの部分でのリズムセクションの躍動感は最高。メキシコ生まれのベーシスト、アブラハム・ラボリエルは当時大変人気のあった人で、ゲイリー・バートン、ジョージ・ベンソン、ラリー・カールトン、ハービー・ハンコック、ライオネル・リッチー、チャカ・カーンなど無数のセッションに参加している。ここではムチのようにしなるベースプレイを聴かせる。6.を共作している奥様のリン・ラボリエルはゴスペル歌手だ。ドラムスのビル・マックスウェルはゴスペル音楽界ではプロデューサーとしても有名な人。アレックス・アクアはペルー生まれの異色パーカッショニストで、� �ャコ・パストリアス等と同時期にウェザーリポートに在籍して製作された「Heavy Weather」(1977)で名声を確立、ジョニ・ミッチェル、リー・リトナー、チック・コリアと共演している。本作ではこの曲だけに参加しているピアノのマイケル・オマーティアンは、スティーリー・ダン、ロギンス・アンド・メッシーナ、ロッド・スチュワートなどの作品に参加。その容姿に問題ありとして躊躇するレコード会社を説得して、クリストファー・クロスをデビューさせたというエピソードがある。後年はゴスペル音楽界での活躍が目立ち、ここでも跳ねるようなプレイを聴かせてくれる。演奏する人たちに精神的な一体感が感じられる出色の曲だと思う。

2012年5月17日木曜日

Ctrl + Z -アンドゥ-


ずいぶんと前に届いたComplyFoamTips T-500のレビューです。

パッケージ内容が1年前とは違って

公式のパッケージ内容

TripleFi 10 イヤフォン
プレミアムメタルケース
シリコンイヤーチップ 合計6個 (Sx2, Mx2, Lx2)
コンプライ低反発ポリウレタンフォームチップ 4個
クリーニング ツール
延長ケーブル
サウンドレベルアッテネータ
ステレオ標準プラグ変換アダプタ
取扱説明書
保証書

2012年5月15日火曜日

MICHAEL JACKSON's MOONWALKER


よくある質問の回答

【音源、映像についての質問】

・歌詞の和訳はどうしたら見られますか?

各アルバムの国内盤には歌詞と共に和訳が掲載されているので、それらを購入されるのが良いでしょう。和訳はDVD国内盤のブックレットにも載っています。

・オリジナル盤とリマスター盤の違いは?

01年10月に発売された、エピック移籍後の各ソロアルバム(「Off The Wall」、「Thriller」、「Bad」、「Dangerous」)のリマスター盤=スペシャル・エディション(初回限定版としてスリーヴケース付き)は、デジタル・リマスタリングが施されているため、当然の事ながら格段に音質が向上しています。ブックレット内やジャケット裏の写真も新たに追加されました。「Dangerous」以外の3作品には、当時の未発表トラックや、プロデューサーのクインシー・ジョーンズらのインタビューも収められています。

しかしこれで過去のオリジナル盤の価値がなくなったかというと全くそんな事はなく、曲によっては微妙にアレンジが違ったり、リマスター盤ではカットされている部分があったりと、これはこれで貴重です。

2012年5月13日日曜日

新たに発売された「レット・イット・ビー」を聴く



2003年11月、全世界で、新たに発売されたビートルズの「レット・イット・ビー・ネイキッド」(発売初年度 1970年5月)を聴いている。涙が出る。あの時に、あの時代、周囲で起こったことが脳裏に次々に浮かんでは消える。

あらたになったこの「レット・イット・ビー」は、録音後、音楽プロデューサーのフィル・スペクターによって施 されたオーケストレーションが外され、当時の音源そのままに、再生された。ジョンのポールの肉声が、耳に心地よく、響いてくる。ジョンとジョージは、既に 亡くなってしまったが。しかし彼らはこのアルバムの中でも、生き生きと歌い続けている。

それにしても、随分と演奏時間の短いアルバムに感じる。何度も何度も、頭から繰り返す。するとレコードがすり 切れるほど、聴いた若き日が甦る。わずか35分のアルバムだ。ゲットバックが始まり、あっという間に、「アクロス・ザ・ユニバース」となり、最後の「レッ ト・イット・ビー」に移う。

この時の録音時(1969年1月)、ビートルズのメンバーの思いはバラバラだった。ジョンは、もうビートルズ なんて、必要ないと思っていた。ポールは何とか、ジョンをビートルズに残そうと必死だった。最初のスタートの「ゲット・バック」は、明らかにポールから ジョンへのメッセージだった。しかしジョンは、別の世界を目指した。ヨーコとはじめた平和運動や様々な活動、だからジョンは、「アクロス・ユニバース」 (宇宙を超えて)と歌ったのだ。ただポールは、「ゲット・バック」(戻って)と叫んだ。

ジョンとポールの関係は、まるで別れ行く男女のように切なく悲しい。冬のビルの屋上でビートルズがそろって 歌った映画が残されている。ジョンは、毛皮のコートを羽織って、長い髪を揺すりながら、切なくリードギターを引いた。そんなジョンに、ポールは、「ゲッ ト・バック」(戻って)と叫ぶ。

しかしこの頃、もうビートルズはグループとしては終っていた。ジョンとポールという二人には、別れの時が迫っ ていた。流れた時計の針を元に戻すことは誰でもできないのだ、人は皆、ジョンとポールのように出会い、そして別れてゆくものなのだ。その切なさが、このア ルバムにはある。発売当初、このアルバムの評判は、「散漫な印象のアルバム」というもので、けっして芳しいものではなかった。しかし今、改めて聴いてみる と、切ないほど、無常を感じさせる音楽だと改めて感じた。

、再び北の大空に向けて飛翔する白鳥のように、音楽というものも、出来上がった瞬間から、次元を超えて、成長 するものかもしれないとさえ思う。聴き手の感性もまた違って来ているということだろうか。
 


自由なイメージを持って、このアルバム「レット・イット・ビー」を聴いていると、これまでの評価とはまったく別の印 象が沸き上がってくる。このアルバムのセッションが行われたのは、1969年1月のことだ。その模様は映画にもなっているから観た人も多いはずだ。もう 30年以上も前のことになる。イメージで言えば、このアルバム「レット・イット・ビー」は、少年ポールの先輩ジョンに対する失恋のストーリーのようなもの にある。

何を言うかと思う人もいるだろう。まあ、佐藤の私見である。既にビートルズのメンバーのうちふたり(ジョンと ジョージ)は、この世の人ではない。もうビートルズは存在しないのだ。聴くたびにある種の郷愁の入り交じったような寂しさが漂う。そしたらふと歌が湧い た。

 僕らの青春「レット・イット・ビー」を聴けばコーヒーカップの湯気秋空に消ゆ

1969年、「レット・イット・ビー」の時代、ビートルズは、まさに世界の脅威のヒーローだった。かのプレス リーも、自分の人気を軽く足蹴にしたジョンとビートルズが大嫌いだった。それはそうだだろう。ジョンのアイロニー(皮肉)とナーブ(生意気)な発言は、プ レスリーだけでなく、世の大人たちを刺激した。「俺たちは、若者の間ではキリストよりも知られている」(1966)という発言がった。そこから「若者」が 外れて、マスコミに流れた。「俺たちはキリストよりも有名だ」ヨーロッパやアメリカの敬虔なキリスト信者たちが、怒りに震えた。たちまちレコードの不買運 動が起き、彼らのアルバムは、ブルドーザーで、ぺしゃんこにされた。

それでもジョンは、まったく意に介さなかった。彼は反抗的な若者のカリスマ的存在となり、常にその発言が注目 されるようになった。そんな彼らを見て、ミックジャガーらのローリング・ストーンズが、過激な装いで、ミュージックシーンに登場した。彼らは、ビートルズ を常に意識しながら、自らの世界を築いていった。ミックとキースが書いたストリートで暴れる若者を讃美した文字通りの歌「ストリート・ファイティングマ ン」とジョンの「レボリューション」が比較された。二人の違いは、暴力に対する考え方だ。ジョンは、まず革命叫ぶより、己の内面を変えろと叫んだ。当時、 ジョンとビートルズは日和見で、ローリング・ストーンズはよりラジカルと言われた。しかしどうだ。その後の世界の流れをみれば、ジョンの平和の思想が、大 きな平和思想の潮流になっている。どちらが、深く現実を見据えていたか。未来を見据えていたか。もはや言わずもがなである。

当時、ジョンは、ビートルズというものの価値と時代が終わったことを知っていた。一方、ポールは違った。彼は ビートルズを守ろうと必死になった。だからこのアルバム作成に当たっては、ジョンに戻って欲しいというメッセージを込めて「ゲットバック」を書いた。まさ にジョンに対するメッセージだ。俺たちが作ったビートルズは不滅だ。このままビートルズとしてやろうよ。彼はそう兄貴分のジョンに言いたかった。ポールに は、ジョンの発するオーラが必要だった。しかしジョンには、ポールは昔の彼女のような存在でしかなかった。ビートルズの音楽的霊感の源泉は、残酷だが、常 にジョンの魂の中にあった。そのジョンの魂を失った時、ポールはただの人になり、ビートルズはグループとして、存在しえなくなった。

ジョンは、既にポールとはまったく別の方角を見ていた。アルバム作成の年、1969年11月、ジョンは、ベト ナム戦争が泥沼化し、イギリス政府が、アメリカ支援を明確にしている理由で、エリザベス女王から貰った勲章を返却した。これは政治的な抗議の姿勢を明らか にするための行為だった。ジョンは、ベトナム戦争に反対し、世界平和を実現したいと思った。だから世界中で蔓延する暴力革命の肯定論に関しては一定の線を 引いた。「君たちは革命革命と言うけれど、そのようなものでは、世の中は変わらないよ」と「レボリューション」(1968)という歌で、若者にメッセージ を発した。イメージによる平和。まず人が心の中で、平和を念ずることが大切だと説いた。イメージが、世の中を変える第一歩であることをジョンは、世界中に 伝えたかった。しかしアメリカのCIAは、ジョンを危険思想の「アカ」と判断をして、その行動を常に監視した。彼らは間違っていた。まったくジョンを知ら なかった。彼は「革命家ゲバラ」ではなく、「平和主義者ジョン・レノン」だった。ジョンの思いは、数年の後、「イマジン」(1971)という名曲として結 実した。

この頃を振り返り、ジョンは、ポールの書く作品について、このように表したことがある。「あの頃のポールに は、差し迫った霊感に拍車がかかっていた。」それは、自分の霊感の源泉としてのジョンが離れて行けば、自分はどうなってしまうのか。せっかく手にしたビー トルズという名声はどうなってしなうのか。という不安に他ならなかった。だからこのアルバムには、芸術家としてのポールの最後の輝きがある。名曲「ヘイ ジュード」(1968)も、父親のジョン・レノンが離婚して寂しがっているジョンの息子ジュリアンに対する慰めの歌と言われているが、結局は、ジョンに対 するメッセージソングだった。